Category: 日本・歴史・書院造

建築とは建築物をつくる人間の行為

あるいはその行為によってつくりだされた建築物をいう。

一面では建築する行為の物的な所産であり、また一面では建築物を産出する技術でもある。

建築物は生活の場として直接人間の生活にかかわり、その技術も人間の生活を究極の目的とする行為である。したがって建築は、建築物をつくる行為を通じて、生存し生活する人間存在のすべての局面にわたって、それらの全体に関与し責任をもつ、あくまでも人間に密着した主体的行為としての技術である。

書院造は近世初期に完成した

和風住宅様式。平安時代に公家(くげ)の住宅様式であった寝殿造が、武家の台頭によって武家住宅にも取り入れられ、時代が進むにつれて変化して、室町時代末から桃山時代にかけて書院造として大成した。

足利義満(あしかがよしみつ)が1378年(天授4・永和4)に造営した彼の住宅である花御所室町殿は、寝殿が公的な行事を行う場所で、二棟廊(ふたむねろう)、中門廊、中門があって、将軍家も大臣家の伝統的住居の形態を踏襲している。

そして遊興など社交的な会合のために会所(かいしょ)が別に設けられた。

やがて代々の将軍家では会所内を飾るようになり、付(つけ)書院や違い棚が造り付けられ、そこには文具や食籠(じきろう)、茶具などが置かれ、また、押板(おしいた)がつけられて画幅、花瓶、香炉などが飾られるようになった。

押板、違棚、付書院に飾られる置物は唐絵(からえ)、唐物(からもの)が珍重された。こうして、足利義政(よしまさ)のころからは座敷飾りが定着した。